
同じ家で暮らしている。
必要な会話もしている。
家族としての日常も続いている。
それなのに、何か大切なところで、ずっと一人でいるように感じることがあります。
「今日はこんなことがあった」と話しても、思っていたような反応が返ってこない。
つらかった気持ちを伝えても、事実について説明されたり、「じゃあ、こうすればいい」と解決策が返ってきたりする。
欲しかったのは答えよりも、
「それはつらかったね」
というひと言だったのに。
そんな毎日について調べるうちに、「カサンドラ症候群」という言葉にたどり着く方がいます。
その言葉を見て、「これなのかもしれない」と感じることもあれば、「でも、相手に診断があるわけではないし」と迷うこともあるでしょう。
ここでまず見ていきたいのは、相手にどんな診断名がつくかということよりも、二人の間で何が繰り返され、その中で自分がどんなふうに疲れてきたのかということです。
話しているのに、「届いていない」と感じる
夫婦の会話がまったくないわけではない。
けれど、自分が一番分かってほしいところだけが、なぜか伝わらない。そんな感覚が続くことがあります。
気持ちを話すと、事実の話に戻ってしまう
「今日は大変だった」と話したら、「でも、それは仕方ないんじゃない?」と返ってくる。
「寂しかった」と伝えたら、「そんなつもりはなかった」と説明される。
言っていることは間違っていない。けれど、自分が話したかったこととは、少し違う。
そんな小さなずれが繰り返されると、
「どう言えば分かってもらえるんだろう」
と、伝える側ばかりが言葉を探すようになることがあります。
夫婦の間で起きるこうしたすれ違いについては、こちらでも詳しくお伝えしています。
お願いしたことはしてくれる。でも、なぜか寂しい
家事をしてくれる。
仕事もしている。
約束したことは守ってくれる。
周囲から見れば、特に問題のない夫婦に見えることもあります。
だからこそ、自分でも、
「これ以上、何を求めているんだろう」
と分からなくなることがあります。
困っているのは、何かを「してくれない」ことだけではないのかもしれません。
自分の気持ちが、相手の中に届いたと感じられない。
その寂しさが、少しずつ積み重なっていることがあります。
外から見える夫婦と、自分が暮らしている夫婦が違う
カサンドラという言葉に強くひかれる方の中には、周囲に夫婦の苦しさを分かってもらいにくい方もいます。
仕事ではきちんとしている。
友人には感じがいい。
子どもの行事にも参加している。
そのため、誰かに夫婦のことを話しても、
「いい旦那さんじゃない」
「そんな人、どこの家にもいるよ」
と言われることがあります。
すると今度は、
「私が細かすぎるのかな」
「求めすぎなのかな」
と、自分の感じ方まで疑い始めることがあります。
周りから見える姿と、二人の間で自分が感じていることは、同じとは限りません。
人に説明しにくい苦しさほど、長い間、自分の中だけに置かれてしまうことがあります。
「夫がASDなのでは」と考え始めたとき
会話がかみ合わない理由を探しているうちに、ASD(自閉スペクトラム症)の特徴について知ることがあります。
そして、
「夫はASDなのではないか」
「だから私はこんなに苦しいのではないか」
と考えるようになることもあります。
「カサンドラ症候群」は、一般に、発達特性のあるパートナーとの関係の中で孤独や疲れを抱える状態を表す言葉として使われています。
ただ、パートナーに医療機関での診断がない場合、身近な人だけでASDと判断することはできません。
大切なのは、診断名だけを二人の関係の答えにしないことです。
実際の暮らしの中で、どこですれ違っているのか。どんな場面では分かり合えるのか。
どんなやり取りになると、いつも同じところで止まってしまうのか。
そこを見ていくことで、診断名だけでは捉えきれなかった二人の関係が見えてくることがあります。
ASDそのものについて知りたい方はこちらをご覧ください。
いつの間にか、自分が「通訳役」になっている
相手がどう受け取るかを考えてから話す。怒らせない言い方を選ぶ。
子どもには父親の意図を説明し、夫には子どもの気持ちを説明する。
家族の予定を調整し、人間関係の行き違いが起きないように、先回りして間をつなぐ。
気づけば、家庭の中の感情や関係を調整する役割を、一人で引き受けていることがあります。
相手に悪気がないことも分かっている。
だからこそ、「もうできない」と言うことにも、罪悪感が出てくることがあります。
けれど、相手を理解することと、家族の間にあるものをすべて引き受けることは同じではありません。
「いつの間にか、自分ばかりが関係を支えている」
そんな感覚があるなら、そこには少し立ち止まって見てみたいものがあります。
分かってもらおうとするほど、二人とも苦しくなることがある
最初は、ただ分かってほしかった。
けれど伝わらないことが続くと、少しずつ言葉が強くなることがあります。
「何度言えば分かるの?」
「どうして分かってくれないの?」
一方で、相手は、
「また責められる」
「何を答えても間違いになる」
と感じ、話すことから離れていく。
こちらは、もっと伝えようとする。
相手は、さらに黙ったり距離を取ったりする。
すると、こちらはもっと不安になる。
こうして二人の間に、同じやり取りが繰り返されることがあります。
どちらか一人を悪い側に決めるより、二人の間で起きている流れとして見ることで、整理しやすくなる場合があります。
「夫が何も話してくれない」という形でこの流れが起きている方は、こちらも参考になると思います。
相手を理解するうちに、自分の気持ちが見えなくなったとき
「発達特性があるなら、こういうこともあるのかもしれない」
そう理解することで、相手への見方が変わることがあります。
けれど、その理解がいつの間にか、
「だから私が我慢しなければ」
につながってしまうこともあります。
相手には相手の感じ方があります。
そして、自分にも自分の感じ方があります。
「私はあのとき寂しかった」
「これはずっと負担だった」
「本当は、こうしてほしかった」
そんな自分の側にある気持ちも、同じように大切にしていいものです。
カサンドラという言葉を知ることが、相手を分類するためではなく、これまで後回しにしてきた自分の疲れに気づく入口になることもあります。
一緒にいるか、離れるか。その前に見ておきたいこと
長く苦しい状態が続くと、
「もう離婚しかないのかもしれない」
という考えが浮かぶことがあります。
その一方で、
「関係を壊したくない」
「できれば、この人と暮らしていきたい」
という気持ちが残っていることもあります。
「離れたい」と「まだ一緒にいたい」が、同時に存在することもあります。
そんなとき、最初からどちらか一つに決めるより、今の関係を少し細かく見てみることができます。
この関係の何が一番苦しいのか。これまで何を試してきたのか。
何が変われば「一緒にやっていきたい」と思えるのか。これ以上は難しいと感じるのは、どんなことなのか。
一つずつ分けていくことで、大きな塊のようだった苦しさに、少しずつ輪郭が見えてくることがあります。
夫婦のことを、お一人で相談することもできます
「夫婦の問題なのだから、夫も一緒に行かなければ意味がないのでは」
と思われることがあります。
けれど、夫婦関係についてのご相談でも、まずお一人でお話しいただくことができます。
カウンセリングでは、相手に発達特性があるかどうかを判定することよりも、これまで二人の間で何が起きてきたのかを見ていきます。
どんなやり取りで特につらくなるのか。どこまで自分が引き受けているのか。
本当は相手に何を分かってほしかったのか。そして、自分はこれからどんなふうに暮らしていきたいのか。
そうしたことを一つずつ整理していきます。
お一人で気持ちを整理したあと、ご希望や状況に応じて、お二人でのカウンセリングを考えることもできます。
「カサンドラなのか」という答えの先にあるもの
「私はカサンドラ症候群なのでしょうか」
そこが気になって、このページへ来られた方もいらっしゃると思います。
「カサンドラ」という言葉によって、長い間うまく説明できなかった苦しさに、初めて名前がついたように感じることもあります。
けれど、名前が分かったあとも、毎日の暮らしは続いていきます。
また二人で食卓を囲む。また話をする。また同じところですれ違うかもしれない。
だからこそ、カウンセリングで大切にしたいのは、
この関係の中で、自分は何を感じながら生きているのか
を、自分自身が少しずつ分かるようになることです。
「相手を理解しなければ」というところから少し離れて、自分の気持ちに目を向ける時間を持つこともできます。
ご相談は、心理カウンセラー柴垣友佳里がお受けしています。
