本当は今日は休みたい。
誘いを断りたい。
少し距離を置きたい。
自分の希望を選びたい。
そう思っているのに、いざ自分を優先すると、
「相手に悪いことをした気がする」
「わがままだと思われないかな」
「もう少し我慢できたのでは」
と、申し訳なさが残ることがあります。
何かひどいことをしたわけではない。
それでも、自分が楽になる方を選ぶと、なぜか心が落ち着かない。
罪悪感には、本当に誰かを傷つけたときに生まれるものもあります。
一方で、自分の希望を持ったことや、自分を守るために境界を引いたことにまで、「悪いことをした」という感覚がついてくることもあります。
ここでは、そんな罪悪感について見ていきます。
断っただけなのに、あとから気になってしまう
頼まれごとを断った。
予定が合わないと伝えた。
「今回は行かない」と決めた。
その場では必要な判断だったはずなのに、あとになって、
「嫌な思いをさせたかな」
「引き受ければよかったかな」
と何度も考えてしまうことがあります。
相手が困った顔をしたり、少し残念そうに見えたりすると、さらに罪悪感が強くなることもあります。
その結果、次からは断りにくくなり、無理をしてでも引き受けるようになることがあります。
断ることそのものに難しさを感じる方は、こちらも参考になります。
休んでいると、「こんなことをしていていいのかな」と思う
疲れているから休んでいるのに、心のどこかが落ち着かない。
家族は動いている。
同僚は頑張っている。
まだやろうと思えばできる。
そんなことを考え始めると、休むことにも罪悪感が生まれることがあります。
身体は横になっていても、
「何かした方がいいのでは」
「怠けているみたいだ」
と頭が働き続ける。
すると、休む時間まで「何もしない自分を責める時間」になってしまいます。
休むことそのものへの抵抗が強い方には、こちらのページもあります。
自分の希望を選ぶと、誰かを困らせるように感じる
本当はこうしたい。
けれど、自分がそれを選ぶことで、誰かの予定が変わるかもしれない。
誰かが寂しい思いをするかもしれない。
そう考えると、自分の希望を引っ込めた方が楽に感じることがあります。
たとえば、
親と会う回数を減らしたい。
家族の期待とは違う進路や働き方を選びたい。
夫やパートナーとは違う希望を伝えたい。
自分一人の時間を持ちたい。
どれも、それ自体が相手を傷つけるための選択ではありません。
それでも、「自分を優先すること」と「誰かを大切にしないこと」が、心の中で同じように感じられてしまうことがあります。
親や家族と距離を取るときに、罪悪感が強くなることがあります
家族だから大切にしたい。
親だからできることをしてあげたい。
そう思う気持ちがある一方で、会うたびに疲れたり、言われることに傷ついたりすることもあります。
少し距離を取りたいと思っても、
「親不孝なのでは」
「年を取った親を放っておくなんて」
と罪悪感が出てくる。
すると、自分がどこまでなら無理なく関われるのかを考える前に、「家族なのだから」と戻ってしまうことがあります。
親を大切に思うことと、自分が苦しくならない距離を考えることは、両立する場合があります。
母との関係に苦しさがある方は、こちらも参考になります。
なぜ、自分を優先すると罪悪感が生まれるのでしょう
「人に迷惑をかけないように」
「相手の気持ちを考えなさい」
「自分のことばかり考えてはいけない」
そうしたことを大切にしてきた方ほど、自分の希望を表に出すと落ち着かなくなることがあります。
また、家族や周囲の人が喜ぶことを優先することで、関係がうまくいってきた経験がある場合には、
相手が満足している=安心
相手が不満そう=自分が悪い
という感覚が強くなることもあります。
周囲への思いやりを持つことと、自分の気持ちを大切にすることは、本来どちらか一つを選ぶものではありません。
けれど、その二つを同時に持つことに慣れていないと、自分の方を選んだ瞬間に罪悪感が出てくることがあります。
罪悪感があることと、本当に悪いことをしたことは同じではありません
罪悪感が出ると、
「こんなに申し訳なく感じるのだから、私が悪かったのかもしれない」
と思うことがあります。
けれど、罪悪感は感情であって、それだけで善悪を決めるものではありません。
約束を破った。
誰かを傷つける言葉を言った。
自分の行動について謝ったり、関係を修復したりする必要がある場合もあります。
一方で、
疲れているから休む。
できないことを断る。
無理な要求から距離を取る。
自分の希望を伝える。
こうした場面でも罪悪感を感じることがあります。
そのときは、
「申し訳なく感じている」ということと、
「私は相手に悪いことをした」ということを、
一度分けて考えてみることができます。
「自分を責めること」と「罪悪感」は少し違います
似ているように見えますが、この二つは中心になる感覚が少し違います。
自分を責めるときには、
「失敗したのは私のせいだ」
「私がもっとちゃんとしていれば」
と、出来事の責任を自分へ向けることが中心になります。
一方、このページで扱う罪悪感は、
「断ったら相手に悪い」
「休んだら周りに申し訳ない」
「自分を優先するなんてわがままかもしれない」
という、自分の選択によって相手を困らせたり、傷つけたりするのではないかという申し訳なさが中心です。
両方が一緒に出てくることもありますが、自分の中で何が起きているのかを分けてみると、少し見えやすくなります。
相手が残念そうにしても、自分の選択が間違いとは限りません
自分の希望を伝えたとき、相手が必ず喜んでくれるとは限りません。
断れば残念に思う人もいる。
会う回数を減らせば寂しく感じる人もいる。
期待とは違う選択をすれば、戸惑う人もいる。
人間関係の中では、相手に何の感情も起こさせないように生きることは難しいものです。
相手が残念に感じることと、自分が相手を不当に傷つけたことも同じではありません。
相手には相手の気持ちがあり、自分には自分の事情や気持ちがある。
その両方が存在することを少しずつ受け止められるようになると、「相手が嫌な気持ちにならない選択」だけを探さなくてもよくなることがあります。
罪悪感があるまま、自分を大切にすることもできます
罪悪感が完全になくなってから断ろう。
申し訳なく思わなくなってから休もう。
そう考えると、いつまでも自分を優先できないことがあります。
罪悪感は、長く身についた感覚であれば、選び方を変えたからといってすぐに消えるとは限りません。
「申し訳ない気持ちはある。でも今日は休もう」
「相手が残念に思うかもしれない。でも今回は断ろう」
そんなふうに、罪悪感を感じながらも、自分に必要な選択をすることもできます。
感情がなくなるのを待つのではなく、その感情を持ったまま、何を選ぶのかを考えていくことができます。
自分の希望を大切にすることと、相手を大切にすること
自分を優先することは、いつでも自分だけを優先することとは違います。
自分に余裕があるときには、人を手伝う。
今日は疲れているから断る。
相手の希望を聞いたうえで、自分の希望も伝える。
今できることと、できないことを分ける。
その時々で調整しながら関わることができます。
誰かを大切にするために、自分を消し続ける必要はありません。
反対に、自分を大切にするために、いつも相手を遠ざける必要もありません。
自分と相手のどちらも関係の中にいる。
その感覚を少しずつ持てることが、自分に合う距離や関わり方につながっていきます。
カウンセリングで、罪悪感の中身を整理する
「休みたいだけなのに、なぜこんなに悪い気がするのだろう」
「断ったあと、何日も気になってしまう」
「親と距離を取りたいけれど、罪悪感で動けない」
そのようなときには、罪悪感をなくそうとする前に、何に対して申し訳ないと感じているのかを一緒に見ていくことができます。
相手をがっかりさせることが怖いのか。
嫌われることが怖いのか。
「良い人」「良い娘」「良い母」「良い妻」でいられなくなることが苦しいのか。
自分の希望を持つこと自体に抵抗があるのか。
話していく中で、同じ「申し訳ない」という言葉の中にも、その方によって違う気持ちがあることが見えてくる場合があります。
カウンセリングでは、「もっと自分を優先しましょう」と一つの方向へ進めるのではなく、ご自身が何を大切にしながら、どんな関わり方を選びたいのかを一緒に整理していきます。
「申し訳ない」と思う自分も含めて、これからを考える
人を大切にしたいから、罪悪感が生まれることがあります。
これまで周囲との関係を大切にしてきたから、自分だけを優先することに戸惑うのかもしれません。
だから、その気持ちを無理になくそうとしなくてもよいと思います。
ただ、
「申し訳ないから、また我慢する」という一つの選び方だけではなく、
「申し訳ない気持ちはある。でも今回は、自分のことも大切にしたい」という選択もあります。
自分の気持ちも、相手の気持ちも見ながら、自分で選べる余地を少しずつ増やしていく。
そのための時間として、カウンセリングをご利用いただけます。
ご相談は、心理カウンセラー柴垣友佳里がお受けしています。
「こんなことで罪悪感を持つ自分がおかしいのかな」というところからでもお話しいただけます。
ご予約前に、相談方法や場所について確認したいことがある場合は、LINEもご利用いただけます。
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