無意味の意味

「今日は何してた?」

そう聞かれて
なにも答えようのない日があります。

洗濯はしたけど途中で止まって
読みかけの本はページを行ったり来たり
スマホの画面をぼんやり眺めていたら

気づけばもう夕方。

何をしていたというわけでもないのに
時間だけがゆるゆると流れていった日。

そういう日には
"もっと意味のある時間の使い方をしなきゃ" と
つい落ち込んでしまうこともあります。

でも最近は
なんとなく過ごす時間が
思っていた以上に大切なんじゃないか
と思うようになりました。

ソファにドタッと寝そべって
天井を見上げているとき

犬がうとうとしている姿を
ただ眺めているとき

風にゆらゆら揺れるカーテンを
ぼんやりと見つめているとき

ふっと
心の奥にしまっていた想いが
顔を出すことがあります。

効率や意味ばかりを求めていると
見逃してしまうものがあるのかもしれません。

たとえば
「やさしさ」だったり
「愛おしさ」だったり
「これでよかったんだ」と思える感覚だったり。

なんとなく過ごす時間には
生産性はないかもしれないけれど

なぜか心が整うのは
きっと意味を超えた何かがあるのだと
感じています。

今日は、なんでもない日だった。

そんな日こそ
心が静かに呼吸を
整えていたのかもしれませんね。

投稿者プロフィール

柴垣 友佳里
柴垣 友佳里くれたけ心理相談室(江南支部)心理カウンセラー
愛知県の江南市を拠点に、犬山市・小牧市・一宮市などで、対面カウンセリングやオンラインカウンセリングをさせていただいています。

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